任天堂の岩田社長が平成27年7月11日亡くなられました。
代表取締役社長の逝去および異動に関するお知らせ(訃報)(95KB)
朝、聞いたときは突然でビックリしたなあ( ̄。 ̄;)
任天堂の岩田社長、2002年(平成14年)6月から代表取締役
社長に就任(ゲームキューブ発売の翌年)
社長就任後に発売されたニンテンドーDS、Wiiにはお世話に
なりました(^o^)(腱鞘炎が酷くても遊べたよ)
任天堂の岩田社長、プログラマー上がりの現場たたき上げの
社長さんで好きだったんだよなあ( ̄。 ̄;)
(iT系企業に多い技術が分かる社長さん)
日本ではインテル系のCPUのZ-80(ザイログ社)が有名ですが、
海外ではAppleなどのホビーPC系CPUにMOS Technology社の
6502が多く使われてた。
(ファミコンのCPUには、6502カスタムチップが搭載)
岩田社長が大学時代に買ったパソコンPET(コモドール社)
のCPUが6502だったこともあり、プログラマーとして大活躍
したとか(当時6502系プログラマーは少なかった)
プログラマーとして、バルーンファイトや大乱闘スマッシュ
ブラザーズ、MOTHERの開発に参加。
特に開発が難航してたMOTHER2では、
「手直しするなら2年かかりますが、1から作り直すなら1年で
やりますけど、どうしますか?」
と言ってホントに1年で完成させた逸話は超有名(^_^;)
社長としては、超高画質・超高性能路線の家庭用ゲーム機で
超ゲームマニア向けに向かってたところをいきなり一般人
(いわゆるライト層)向けに3DSやWiiを出してきたときは
ホント驚いたなあ。
当時teruさんは、お仕事で酷い腱鞘炎になり、家庭用ゲーム機
のコントローラを持つことが出来なくて泣いてた時期。
(お箸や空のお鍋を持っても腕に激痛が走ってた、滝汗)
もうゲーマー引退かな?と思ってたところに発売されたDSや
Wiiで再びゲーマーとして楽しめるようになったのは岩田社長
のおかげです(^o^)(今でも感謝してます)
胆管腫瘍になって手術を受けたけど、胆管腫瘍の生存率は低い
と聞いてたので心配していたら、亡くなられたとは..(ーー;)
今、世界中の人達からお悔やみのメッセージが飛び交ってる。
1ゲーマーとして岩田社長のご冥福をお祈りいたします(^∧^)
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